三角コーナー

キッチンシンクに思想は流せないからな

諦念

 諦めることが出来るのは幸せである。

そもそも、望まなければ諦めるということが選択肢に入ることはない。脚がない人間でもサッカーをやろうと思わなければ、それはただ人生の中で触れなかった事柄その1でしかない。

 

裏を返せば、望むことを選べるそれ自体が幸福だ。人間は経験したことがないものを全く想像出来ない。想像して求めた上で叶うことがないものが諦めたことであり、想像出来るということは一片でもそれに触れたことがあるということだ。

 

強欲に生きるべきではない。諦められる幸運を祝い、一瞬でも望めた奇跡を崇めるべきである。