善さ
真面目な人、自立した人、良い人、優しい人。これらに共通するものは、「善さ」という不明瞭なものを手に入れる代償として、人生を賭して損をしていることだ。
真面目な人は不真面目な人のケツを拭くことが仕事であるし、自立した人は自立できていない人の支えになることが仕事である。残り二つも然り。
一見すると損だけを手に入れている滑稽な人種であるが、どうも人間として「善い」と言われるのは損をする人種の方である。
おんぶにだっこの幼稚な人間、中年になっても親のすねをかじるニート、某サイトで漫画を読み漁り、YouTubeで音楽を手に入れる高校生。彼らは明確に物理的、経済的な利益を得ている。
これを叩く論調の基盤が「善さ」であり、それを振りかざす彼らは「他者のために頑張って不利益を被ろう」と自分が叫んでることに気付いているのだろうか。
倫理も道徳ももはや通じない人間の方が多い時代である。なぜなら損しかしないから。グレーゾーンで甘い汁をすすり、明るいところでは脚を引っ張り合って泥まみれになるのがこの国の正しい生き方なのだろう。素晴らしきかな人間。