三角コーナー

キッチンシンクに思想は流せないからな

憧化

 巷で話題のあの映画のお話。泣きっ面に蜂が2度来たと思ったら3度目がスズメバチだったらそれはもはや喜劇だろうか。

 

 考えさせられるだとか、誰しもが彼になりえるなどといった感想を目にするたびに失笑してしまう。どん底にいてなお、自らにまだ下はあると言い聞かせ、世界を信じたうえでその全てに裏切られる痛みを知っているものがそこら中にいてたまるか。仮にそうならば私はもっと生きやすかった。

 

 あれは一人の善良な人間が狂っていく様では断じて無い。全てを抑圧の中にしまい込んできた人間の、思い込みで作り上げた世界への幻想が剥がれ、正気に返っていく様だ。むかつく奴なんか全員殺してやりたいと思うし、裏切ってきた人間は肉親であれ自らが手を下したいのが人間の本性だ。倫理やら道徳やら法律やらで捻り潰された、傷を負った人間の心の底に燃える怒りと悲しみの混じる慟哭こそあの笑いに他ならない。そこに善悪などなく、望む行為を行った結果がたまたま世間的には悪であっただけである。自らのみが持ち得る物差しを手に入れると、善悪の概念の前に自分がやりたいかやりたくないかが優先される。

 

 だからこそ、羨ましい。行き当たりばったりで自分に危害を加えてきた人間に打ち込む銃弾を、拳銃を、過去の私は持ちえなかった。持っていたら間違いなく引き金を引けたのに。彼に自己を投影して、気持ちよく映画を視聴出来る人間ならば、最後の「理解できないさ」というセリフは彼の生きた世界と我々の生きた世界に突き刺さる珠玉の一言である。苦しみぬいた末に我に返り、したいようにやってみた。それが妄想かも現実かも分からないが、そうだったらすっきりするし愉快だを詰め込んだカタルシスの物語。思わず笑顔が零れるほどに素晴らしいが、きっと痛みを知らぬ人間には「理解できない」のだ。

好悔

 祖母がついに死期を悟ったらしい。今更か。死が怖いという感情を自覚し、色々とやっているらしい。死の受容の五段階で言うならば取引のあたりだろうか。

 

 祖父は自殺したと聞いているし、確か彼女の兄弟だったか親戚も自殺していたはずだ。そんじょそこらの人間よりも彼女は死に近かったはずで、それすらも分からなくなっているのだと思うと認知症とはかくも恐ろしい。死が間近にある人生を送ってきた割にはしょうもないと思ってはいたのだが、病ならば、仕方が、ない。

 

 近所の小学生に話しかけられるたび思う。私が彼の年頃に考えていたことは自死の概念と受験戦争だ。人の気持ちも考えられられていない稚拙な発言を聞くたび、私が見た地獄に対する誇りと絶望、愛されるべき、愛されているであろう彼に対する侮蔑と羨望が止まない。

 

 どうあがいても変わりえぬ過去と人生に対する捧げものなのだ、文章とアルコールは

。もはや過去の彼を助けることが不可能であることは大学時代に学んでしまった。人を呪う代わりに酒を煽り、噤んだ口から洩れる恨み言を書き出すことでしか痛みは和らぐことはない。全て僻みだ。愛されることも、救われることも、褒められることも、人間の温かさも知らない以上世界に向けられるのは敵意以外に存在しない。

 

 以上、自らの対偶に存在する人間への恨みと憎しみの一片と、私を救いもしなかった、血縁のみが縁である肉親への憎悪を込めて、アルコールに溶かした感情を吐き捨てた文章であった。

生期

 人は過去にしか生きることが出来ないと思っている。此岸に生を受けたまさにその瞬間から、彼岸を見つめねばならないのが人間という生物であるし、最初から終わりが見えている生物が見ることが出来るのは過去でしかないと思う。現在進行形、未来形、さまざまな生き方があるとは思うし否定するつもりもないが、少なくとも私はそうだ。

 

 こんな考え方になったのは12年前、言葉の意味からは外れるけれどまさに半生のあたりだ。今にして思い返しても酷いが、当時の私は世界に裏切られたと思ったし、おそらくその感想に間違いはない。少年にとって世界とは学校と家庭の二つ以外存在しない。

 

 当時、紛れもない終わりを見た。最後ではなく最期だ。これでも死ねる、これでも死ねる。高くても、硬くても、早くても、重くても。人間の肉体にとって死は余りにも身近に存在していることに気付くと同時に、こんな安っぽいもので終わりたくはないと思った。本音は死ぬのが文字通りに死ぬほど怖かっただけだ。

 

 あれから半生、死を見つめて生きてはみたものの案外死ぬ理由も手段も変わらず安っぽい。それも当然、死のうとしても死んでもどうせ特別な変わりはなく、世はこともなし。ロアナプラでワンカットで失われる命よりも長く生きなければならないことだけはどうやら確かだった。

 

 あの日、負けず嫌いとアドバンテージの概念だけで選んだ命は正しかったのだろうか。集合的無意識などあまり信じてはいないが、仏陀とキリストが至った先が同じということには信仰を捧げても良い。電車に轢かれたカエルを見たわけでも、死後の人生の公園で新しい靴を奪われたわけでもないが、不思議と命がないと出来ない行動を選ぶ。文学から引用するのも、芸術を観るのも、あろうことか命を育ててしまっていることも生きていなければ出来ない。文章を書くことも然りだ。

 

 文章を書くという行為にはその人間の人生が垣間見える。それが名著であれ、小さなゴミ箱であれ。言語化して初めて分かることもあるのだろうが、どうやらこの人間はまだ死ぬつもりがないらしい。終わりを見据えて、死のうとしてなお命が無ければと未練たらしく言葉を紡いでいる。もう少し、生きていよう。

過故

 忘れえぬ地獄の話。心のうちに留めておくにも、誰かに溢すにも、美談にするにも糧にするにも適さない。

 

 犬が死んだ日。恋人に心無い言葉をかけられ、母は私に泣きつき、私は口を噤んだ。ただアルコールを啜り、理性の蓋を外そうとしたけれど、もはやどこに理性があるのかも分からなかった。清濁を合わせ飲むことは出来ても、感情という純度の高い物質は呑み込めない。ただ、そこに存在していることを認めて向き合うしかなかった。

 

 翌月の記憶が断片的にしか無い。酒を煽り、日が暮れ、酒を煽り、日が昇り。寝ていたのか起きていたのかも分からない。酒で抗うつ薬眠剤を飲むと無理やり意識を飛ばせた。自傷的な意味合いはなく、そこにあった液体がアルコールだっただけ。不思議とこれで死んでもいいだとかは思わなかった。何か食べないと体調が悪くなる、精神的にも良くない。壊れた自分を眺める俯瞰視点の自分はひどく冷静で、世界で一番私に気を遣っていた。極めて平静を装っていたつもりであったが、友人には後に死にそうな顔をしていたと散々言われた。どうにも上にいた彼でも肉体の方まではマネジメント出来なかったらしい。

 

 精神科で語った内で覚えている、おにぎりの話。海苔はパリパリのものが好きだけれど、掃除するのが面倒で湿ったものを食べていた。次に湿ったおにぎりを食べる時こそ肉体的に死ぬのではないかと思う。

 

 ある日、近所でバイトがあったからと友人が家に立ち寄った。別に何か特別な話はしなかったと思う。だが、不思議と安心してどれだけぶりだったか、薬も酒もなく眠れた。冗談交じりに命の恩人だと今でも言ってはいるが、本当だ。これがなかったらきっと肉体が死んでいたと思う。

 

 恋人と飲みに行った帰り、酔いすぎて記憶を無くした。気が付くと自宅のトイレで吐いていて、彼女は誰も頼れないと無意識下で吐き出した私の本音に、彼女でも頼ってくれないのだと泣いた。誰が背後からとどめを刺しに来た人間を信用出来るのか疑問だった。結局、半年後くらいにこれが頭の片隅に引っ掛かりすぎて振った。

 

 うつ病からの復帰体験記のような虚飾の文章によくある、家族や恋人や友人の助けなどなかった。家族と恋人に真っ先に裏切られた後に友人に助けてくれと甘えて助けを求められるほど、精神が強くなかったからだ。平静を装い、表面上いつも通りの生活を送る裏で、ひたすら考えた。好意の返報性などない。信じるものは救われるのではない。救われるものが救われて、救われないものは死にゆくのみだ。身を切った分だけ帰ってくるのはわが身の痛みそれ一つだけで、人にかける優しさに自傷以上の意味などあり得ない。当時から見れば10年前、死んだ自分を糧に作り上げた自分には何の意味もなかった。全て馬鹿らしくなった。それでもどうやら、友人という存在は捨てきれなさそうだった。腹が立つから、せめて生きてやろうと思った。負けず嫌いでストイックな選択をするのは我ながら最後に遺された美徳だ。

 

 今にしてみれば12年前、一度死んだ心のロスタイムをあの時まで生きたに過ぎない。ありもしない希望を信じて、それに丸々裏切られて、きちんと死んだ。心が死ぬ分には肉体は問題ない。この瞬間ですら実証し続けている。湿ったおにぎりを食べる時が死ぬべき時だ。

血意

 優しさが温かいと表現されるのはそれが血に纏わるからという話。

 やさしいひとになりたい等と思ったのはいつの話だっただろうか。昔から好きな歌を作るあの人はやさしくなれたのだろうか。
優しさとは血そのものである。概して誰かに対する温情であったり、赦しであったり、慈しみであったりという穏やかなイメージのある感情だが、対照に身を裂かねばひねり出せない感情でもある。

 ふと人に優しく、自分の苦労を無視していた時期を思い出した。優しくあろうとするために、私は自らの首を縊り続けた。そして噴き出た血液を浴びた彼女に「あなたは強いから、優しいから」と宣われて、ついに背中を突き刺されたのだった。教訓にするには救いが無さすぎる、運が悪かっただけの出来事。

 一般的に使われる強さも優しさも、所詮その人の耐久値を評価しているに過ぎない。痛みに耐えられるだけの防御力を身に着けたか、痛みを感じないほどの体力を身に着けたか。着けたというより着けざるを得なかったという言葉の方が正しいが、いずれにせよ血を流した結果だ。生きるためではなく、死なないために流した血も、決意も、陳腐で小綺麗な言葉に変換されて理解されようとするのならば、わが身の内に秘めておくべきなのだろう。

 だが、絶対に血を流した事実も、痛みも、風化させてはならない。電子の海の藻屑でしかないこの文章は、私の唾棄すべき人生の路傍の意思だ。何も持ち得なくともこれだけは、抱えて来たのだ。

空洞

 どこぞのバンドの曲と同じタイトルだ。思うことこそあれ、特にこんな場所で言い立てることもない。ただ、文章を書くという行為には人生が垣間見える。詩であれ、小さなゴミ捨て場であれ。

 

 それなりに必死に頑張ってきた人生だった。もはや断定で書いても許されるはずだ、だったと思うなどと安い言葉で汚したくはない。

 

 最近些細なことで過去を思い出す。電車に乗っているとき、昔早朝の電車でゲロを吐いて帰宅し、母に怒鳴られた。近所を歩いているとき、昔あそこの天ぷら屋で母に怒鳴られた。学校からの帰り道での友人との会話を聞かれ、怒鳴られた。ゲームボーイカラーを投げつけられ、怒鳴られた。記憶を思い出すだけで卒論の文字数くらいは書き出せそうなのでやめるけれど。

 

 今の私を作るのは過去でしかない。あの時の嫌な思いをしないようにと、同じ間違いは起こさないようにと必死に修正して、殺して、治して。そして自分でも納得いくものになって、人と付き合い、手酷く傷つけられた。それすら過去ではあるのだが。

 

 一番欲しいものは絶対に手に入らないと親友に言われたことがあるが全く持ってその通りだ。手に入るのは金で買えるものだけ、家族も過去も変えるわけもなく、手にも入らない。

 

 過去を諦め、母を友人として扱い、恋人は作らないようにした、救いはアルコールだけだ。末期癌の患者に与えられるモルヒネを救いと呼ぶのならばという前提は必要だが。手に入るものは手に入れたし、別段したいこともない。日々を死ぬまで浪費する中、外面だけは善くした自らを苛み続けるのはどこまで行っても過去と手に入らなかったものだ。

 

 所詮醜い人間に諦めなどつくはずもなし、立派に見えるであろう大樹の洞から中を覗き込めば底なしに空虚である。頭でだったという表現を使ったのはここで回収するためだろうか。もはやこの空洞に何か立ち向かう気力が湧いてこない。ただ、疲れた。必死に生きる価値などない。

個毒

 父親と出会ったことがない。顔こそ母の残していた写真で見たことはあるが、実物の存在を知らない。今死んでいるのか、生きているのかもわからない。

 

 母親と出会ったことがない。両親に対して並々ならぬ不満を抱えていた彼女は、およそ彼女を形作る身の回りの全てから目を背け、対話を拒否し、二十数年前に私を形成するに至った半分と出会い、自らの解決し得なかった問題と不満を私に委託した。

 

 現代において親とは、受精卵の作成者のペアを指す言葉ではない。医療の進歩、資本主義の荒波の中で我が子に衣食住を提供することは当たり前になった。敢えて言うならば当たり前にそれらを提供出来ないような生活をしているものは子を持つべきではない。彼らがすべきことは、正常に肉体が育っていく子どもの精神の修養を促すことである。

 

 つまり、と続く先は言わずもがな、私を育てたのは数えきれない希死念慮の中で私と向き合い続け、ついに逃げることのなかった私だという帰結である。

 

 祖父と出会ったことがない。彼はいつも自分の話ばかり、子どもとの接し方は知らない人であったし、彼から得たものはなかった。金銭面では大黒柱であったが、前述したことを繰り返すならば、子どもが増えることで家族を養えない状況に陥るならば家族という単位として産むべきではない。ある程度学んだ今振り返れば、発達障害の傾向が強い人であった。仕方のないことなのかもしれない。

 

 祖母と出会ったことがない。彼女は私の知りえない昔のトラウマから心を病んでいて、アルコール中毒一歩手前のような姿で記憶されている。個人的には一番心的距離が近かった人ではあるが、母がイラつくので自然と避けるようになった覚えがある。最後の印象は酒に溺れ、母にキレて包丁を地面にたたきつけていたところ。最近未来の自分はこれだろうと思う。

 

 友人、いや私自身は親友だと思っている人が大事な祖父を亡くした。本当にかける言葉が見つからなかった。この私が何を言おうと欺瞞でしかない。彼女の苦しみは彼女の内でしか理解しえないことは分かっているし、私の言葉一つでカタルシスが生じるわけもない。それでも何かと思ったが、照らし合わせる先も感情も存在していなかった。文章に起こして振り返ってみれば当然ではあるのだが。

 

 結局何が言いたかったのだろう。亡くして惜しいと思える親類がいる親友への僻みか、それともただただ空虚な自分の人生を詳らかにして踏みにじりたかったのか。はたまた酒の勢いでの排泄行為の一種にしか過ぎないのか。タイトルを振り返ってみればおそらく3つ目だ。文章を用いたマスターベーションだ。この文章すらも。こんな文章を書く人間は死んだ方が良い。