三角コーナー

キッチンシンクに思想は流せないからな

過故

 忘れえぬ地獄の話。心のうちに留めておくにも、誰かに溢すにも、美談にするにも糧にするにも適さない。

 

 犬が死んだ日。恋人に心無い言葉をかけられ、母は私に泣きつき、私は口を噤んだ。ただアルコールを啜り、理性の蓋を外そうとしたけれど、もはやどこに理性があるのかも分からなかった。清濁を合わせ飲むことは出来ても、感情という純度の高い物質は呑み込めない。ただ、そこに存在していることを認めて向き合うしかなかった。

 

 翌月の記憶が断片的にしか無い。酒を煽り、日が暮れ、酒を煽り、日が昇り。寝ていたのか起きていたのかも分からない。酒で抗うつ薬眠剤を飲むと無理やり意識を飛ばせた。自傷的な意味合いはなく、そこにあった液体がアルコールだっただけ。不思議とこれで死んでもいいだとかは思わなかった。何か食べないと体調が悪くなる、精神的にも良くない。壊れた自分を眺める俯瞰視点の自分はひどく冷静で、世界で一番私に気を遣っていた。極めて平静を装っていたつもりであったが、友人には後に死にそうな顔をしていたと散々言われた。どうにも上にいた彼でも肉体の方まではマネジメント出来なかったらしい。

 

 精神科で語った内で覚えている、おにぎりの話。海苔はパリパリのものが好きだけれど、掃除するのが面倒で湿ったものを食べていた。次に湿ったおにぎりを食べる時こそ肉体的に死ぬのではないかと思う。

 

 ある日、近所でバイトがあったからと友人が家に立ち寄った。別に何か特別な話はしなかったと思う。だが、不思議と安心してどれだけぶりだったか、薬も酒もなく眠れた。冗談交じりに命の恩人だと今でも言ってはいるが、本当だ。これがなかったらきっと肉体が死んでいたと思う。

 

 恋人と飲みに行った帰り、酔いすぎて記憶を無くした。気が付くと自宅のトイレで吐いていて、彼女は誰も頼れないと無意識下で吐き出した私の本音に、彼女でも頼ってくれないのだと泣いた。誰が背後からとどめを刺しに来た人間を信用出来るのか疑問だった。結局、半年後くらいにこれが頭の片隅に引っ掛かりすぎて振った。

 

 うつ病からの復帰体験記のような虚飾の文章によくある、家族や恋人や友人の助けなどなかった。家族と恋人に真っ先に裏切られた後に友人に助けてくれと甘えて助けを求められるほど、精神が強くなかったからだ。平静を装い、表面上いつも通りの生活を送る裏で、ひたすら考えた。好意の返報性などない。信じるものは救われるのではない。救われるものが救われて、救われないものは死にゆくのみだ。身を切った分だけ帰ってくるのはわが身の痛みそれ一つだけで、人にかける優しさに自傷以上の意味などあり得ない。当時から見れば10年前、死んだ自分を糧に作り上げた自分には何の意味もなかった。全て馬鹿らしくなった。それでもどうやら、友人という存在は捨てきれなさそうだった。腹が立つから、せめて生きてやろうと思った。負けず嫌いでストイックな選択をするのは我ながら最後に遺された美徳だ。

 

 今にしてみれば12年前、一度死んだ心のロスタイムをあの時まで生きたに過ぎない。ありもしない希望を信じて、それに丸々裏切られて、きちんと死んだ。心が死ぬ分には肉体は問題ない。この瞬間ですら実証し続けている。湿ったおにぎりを食べる時が死ぬべき時だ。