三角コーナー

キッチンシンクに思想は流せないからな

好悔

 祖母がついに死期を悟ったらしい。今更か。死が怖いという感情を自覚し、色々とやっているらしい。死の受容の五段階で言うならば取引のあたりだろうか。

 

 祖父は自殺したと聞いているし、確か彼女の兄弟だったか親戚も自殺していたはずだ。そんじょそこらの人間よりも彼女は死に近かったはずで、それすらも分からなくなっているのだと思うと認知症とはかくも恐ろしい。死が間近にある人生を送ってきた割にはしょうもないと思ってはいたのだが、病ならば、仕方が、ない。

 

 近所の小学生に話しかけられるたび思う。私が彼の年頃に考えていたことは自死の概念と受験戦争だ。人の気持ちも考えられられていない稚拙な発言を聞くたび、私が見た地獄に対する誇りと絶望、愛されるべき、愛されているであろう彼に対する侮蔑と羨望が止まない。

 

 どうあがいても変わりえぬ過去と人生に対する捧げものなのだ、文章とアルコールは

。もはや過去の彼を助けることが不可能であることは大学時代に学んでしまった。人を呪う代わりに酒を煽り、噤んだ口から洩れる恨み言を書き出すことでしか痛みは和らぐことはない。全て僻みだ。愛されることも、救われることも、褒められることも、人間の温かさも知らない以上世界に向けられるのは敵意以外に存在しない。

 

 以上、自らの対偶に存在する人間への恨みと憎しみの一片と、私を救いもしなかった、血縁のみが縁である肉親への憎悪を込めて、アルコールに溶かした感情を吐き捨てた文章であった。