三角コーナー

キッチンシンクに思想は流せないからな

無為自然

 物事はあるがままにしかならんということ。最近気付いた。

 

感情はものごとを受け入れるためのプロセスでしかない。どんなに泣いても死んだ人は帰ってこないし、どんなに怒ってもミスは取り返せないし、どんなに笑っても面白いことそれ自体に変化は生まれない。

 

何をどう考えようがどう行動してみようが何も変わらない。変わったのだとすればそれが元からそういうものであったように変わっただけか、元からそうであったか。あるいは自分が変わったと信じていたいだけかである。

 

これを拡張して自分の心にまで適用すれば、無敵に近い状態になることができる。

 

悲しいとき、むなしいとき、死にたいとき。全てそういうものである自分の感情がものごとに影響されて自らの内に生じただけで、すべてそこにあるだけである。そういうのもあるんだな、自分は今こういう気持ちなんだな、と自分の芯と心を切り分けて認知すること。つまりメタ認知

 

逆に言えば、人は人を救えないという話でもある。人間の感情は全て彼らの内に完結したもので、干渉できたとしても完全なものは不可能である。それが自分の内にあって、何が原因で実はどうしたいのかということの手助けをするのが関の山だ。これがカウンセラーという仕事であるのだが。

 

仕事で金をもらってするのでなければ、人助けは損でしかない。真面目で、優しくて、良い人で、苦労していて、自分を殺すことが出来る人ほど、溝に落ちている。泥の味を知っている。誰にも引っ張り上げられず、自分で這い上がった苦労を知っている。そして、それらしか知ることが出来ないようになっている。自らの成長が自らを苛む前に、病む前に、悩ましい人とものごとに中指を立てて、唾を吐きかけ、足蹴にしなければならない。