無関心
全てに対して無関心であることこそ最大の平等ではないのか。
「知らんけど」という関西弁はネタにされがちだけれど至極全うなものであると感じる。本当に「知っている」ことなど人間にあろうはずもない。
理解しようと努める姿勢は肝要だが、入れ込みすぎればバイアスにまみれ、同情と共感の海におぼれて目指すところから離れてしまう。
わからないものに対して距離を置き、そういう文化であると肯定も否定もしない態度こそが共感である。平等とは主観を排除した第三者であることであり、ならばただ共感に努めることが平等だ。
「話せば分かる」馬鹿を言え。話してもわからないことしか世界には存在しない。分かるならばそれは自明の理であるし、分からないからこそ話さなくてはならない。そしてそれは理解の及ぶ範疇のものではない。話さなくてはならないことは相手に理解されないことが前提である。何もかもに対して「知らんけど」とする姿勢は隣人に対する愛よりも平等だ。